前身校設立の気運とその経過
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山本喜太郎 |
向日保雄 |
三根隆澄 |
そこで郡視学・山本喜太郎氏は近き将来において郡内での高等女学校設立の基礎になるであろうとの遠謀深慮から裁縫学校の設立に尽力され、ようやく明治39年3月、その設立が認され、ここに本校の前身校として明治39年(1906)4月1日、「富田林高等小学校附設裁縫学校」が開校し、発足したのである。入学生徒数50名、主事に三棋隆澄氏が任命された。4月4日に挙行された開校式で南河内郡長・向日保雄氏はその「告辞」の中で「日露戦局平和の今日、ここに時機のて適せるの事業なりと信じて「国民の一大発展を覚悟せざるべからざるのときにあたり、賢母良妻の養成それ必要なしとせんや。本校設立の趣旨、またここにありと信ず。」とあるように明治37−38年の日露戦争戦勝ムードの中で国民の意気が高揚しつつある時代の潮流がうかがえる。
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