90years |
|
|
|
|
河南高等学校90年史 年表(その4)
|
西暦 |
年号 |
|
本校の教育に関すること、国内外のおもなできごと |
|
1979 |
昭和54 |
1月 |
はじめての国立大学共通一次試験が実施される |
|
|
4月 |
今瀬米造にかわり、大西日出男が校長となる。第2別館(保健室棟)新築工事竣工、現在の保健室、会議室、2教室ができる |
1981 |
昭和56 |
2月 |
現在の体育館新築工事竣工 |
1985 |
昭和60 |
4月 |
大西日出男にかわり、末虞躇二が校長となる |
1987 |
昭和62 |
9月 |
演劇コンクールから一部自由形式の文化発表会に改める |
1989 |
平成元 |
4月 |
末廣禮二にかわり、佐伯忠男が校長となる |
1990 |
平成2 |
1月 |
はじめての大学入試センター試験が実施される |
1991 |
平成3 |
3月 |
大阪府教育委員会が促進人事を導入、教職員の大量異動はじまる |
|
|
10月 |
文化発表会を全学年自由形式の河南フェスティバルに改める |
1992 |
平成4 |
2月 |
たちばな会館改修工事竣工 |
|
|
3月 |
現在のプールができる |
|
|
4月 |
進路指導部が校務分掌のひとつとして独立する |
|
|
9月 |
学校週5日制の月1回実施、第2土曜日が休業日となる |
|
|
11月 |
創立80周年記念式典を実施する |
1993 |
平成5 |
4月 |
府立高校普通科の学級定員40名となる |
1994 |
平成6 |
4月 |
家庭科の男女共修はじまる |
1995 |
平成7 |
1月 |
阪神・淡路大震災がおこる。本校はほとんど被害を受けず |
|
|
4月 |
佐伯忠男にかわり、木村保明が校長となる。学校週5日制の月2回実施、第2・4土曜日が休業日となる |
1996 |
平成8 |
7月 |
堺市で0−157による集団食中毒発生 |
1998 |
平成10 |
4月 |
木村保明にかわり、増田和一が校長となる |
1999 |
平成11 |
5月 |
河南高校後援会(錦寿会)が発足。部活動の振興、国際交流の活動、その他、本校の発展に寄与する諸活動を支援する |
|
|
7月 |
夏期休業を利用した希望者対象のオーストラリア語学研修を実施 |
|
|
11月 |
本校、はじめての学校説明会を実施する |
2000 |
平成12 |
|
2000年度高校中退者は全国で10万9,146人、中退率2.6%となる。中退率としては過去もっとも高い記録となる |
2001 |
平成13 |
4月 |
増田和一にかわり、森川英子が校長となる |
|
|
6月 |
大阪府教育委員会主催の大阪府・カリフォルニア州高等学校生徒交流事業により、本校に3名の交換留学生がくる |
|
|
9月 |
アメリカで同時多発テロが発生、このため修学旅行の行き先を急きょ変更する学校が国内で相つぐ。本校は予定通り、翌1月に沖縄への修学旅行を実施する |
2002 |
平成14 |
4月 |
学校週5日制が完全実施される。これにともない第7限の授業がはじまる。大阪府立看護大学との高大連携がはじまる |
|
|
11月 |
本校創立90周年記念式典 |
|
|
|